東日本大震災

毎日の生活の中でそれは突然襲ってきた。
言葉で表現する事も出来ない、息を飲み、目を疑う、次から次に足元に天から地へ
海は荒れ狂い人々を飲み、とうてい人の抗える様ではない、他に言葉はない。
あらゆる生き物・物体がつき流されて、人間の好き勝手にやってきた愚かさが目の前に写ってくる。
どうにもならない・・・草木の果てまで消えてゆく。
10m・20m・27mと高い津波が人々や物すべてを押し流す。
電信柱に掴まり見ている間に電柱もなぎ倒され身を置く所がない。
御佛も神も何もない、生きて今を次にどうする。
アアアアア〜〜、何だ、どうして、何もかも消えていく・・・崩れていく・・・
まるで天の怒りをかったかの様に崩れていく・・・

何日かが過ぎ、一体どれだけの人々や生物が、文字にもしたくない!!!
はては食料もなく電気水道が止まり、我が子を探す若い女親・男親
狂ったようにコンクリートや石をどけ家族を探す人々。何がどうして・・・
後にあらゆる情報が聞こえてくる。なかには、わずかの人が事もなく少々の事で済んだ人もいる。
他国の支援も来始めた。こんな出来事そうある訳がない、あってほしくなかった。
心に手を合わせ、出来る事から始めるしかないのだ。

現実は厳しい事である。
生死を懸けて生きていく、一人強く歩ける人もあれば、人々の手を借りなければ立てない人、亡くなった方々に、手を合わせ祈ろう  南無釈迦牟尼仏と 人がこれを 3・11 東日本大震災と言う。

さて、ここ宮城県若林区の龍香院も例外ではない。
本堂は崩れかかり、住まいも崩れ、とうてい人が生活出来る様ではない。
崩れかかった壁に身を打たれ、それでも津波に本堂・住まい・墓地までさっぱりと押し流され、何もかも無くなってしまった寺院がなんと多い事か。
そう思い直し、まだやれると思案し心を震わせ立ち上がる。

様々な話が舞い込む中、住職として10年・20年プレハブの仮本堂で腹を決め突き進む覚悟
しかし、多くの人が亡くなった人の事を持ち寄り、お願いすると頭を下げられ考えさせられる日々、様々な意見が頭を、心を揺さぶる。反対・賛成、まだ今じゃない。

今尚、我が子を探す親の姿・・・涙・・・後姿・・・
衣をまとう身を、手を握り潰す。
ある日、石巻に外国の高僧がやって来た話の中で
「どうにもならない事は、どうにもならないのだ」
とてもとても重く多くの悲しみから出て来た言葉だと心深く重く受け止めた。

今後の過程は爪痕希望復興上棟で我が人柄を出しながら、お伝えできればと思っております。

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